Simple living

暮らしのなかで気づいた、ちいさなことを言葉にしています。

フィールドノート|帰国2日後

フィリピンから帰って2日が経った。

かなり濃い1週間だった。

今振り返って考えているのは、ホームステイ先でのこと。4日間一緒に過ごして、5日目の朝までお世話になった。

今回は高校生たちにとって初めてのホームステイだったので、彼らがそこでどうやって現地の人たちと関係をつくっていくのか、私は結構見ていた。

私自身、現地の人たちと仲良くなったり、その場に入っていったりするのは、割と得意な方だと思う。

そのときにやっているのは、現地の言葉を少し覚えて使ってみたり、相手の名前を覚えて、ちゃんと名前で呼んだりすること。

特に名前を呼ぶことは、自分でも結構意識している。

自分も名前を呼ばれると親近感が湧くし、相手との距離が少し近くなる。だから人と仲良くなろうとするとき、私はまず名前を覚えて、なるべく呼ぶようにしている。

今回、高校生たちは「Thank you」と英語で伝えたり、英語を使ってみたりしていた。

でも、現地の言葉で「ありがとう」って何て言うんだろうと覚えて使ってみたり、相手の名前を呼んだり、そういうことは、私が見ていた限りではあまりなかった。

4人いて、誰か一人くらいそういうふうに現地の人たちに近づいていく子がいるのかなと思っていたけれど、今回はあまり見られなかった。

だから私から見ると、最後まで「受け入れる側」と「受け入れられる側」という境界線が結構はっきりしていたように感じた。

ホームステイ先にはいるんだけど、日本人たちは日本人たちで過ごしている。

なんというか、彼らは彼らの世界で生きていた、という感じが自分の中には残っている。

もちろん、これは私からそう見えたという話で、本人たちがどう思っていたのかは分からない。

現地の人たちと仲良くなりたかったけれど、どうしたらいいか分からなかったのかもしれないし、緊張していたのかもしれない。そもそも、そこまで意識していなかったのかもしれない。

そこは本人たちに聞かないと分からない。

ただ今回見ていて、「英語を使ってみたい」ということと、「その人と仲良くなりたい」ということは、また別なんだなと思った。

英語が通じるか試してみる。Thank youと言って通じる。それはそれで一つの経験なんだけど、それと「この人のことをもっと知りたい」「この人と仲良くなりたい」と思って関わることは、同じではない。

私の場合は、たぶん相手と仲良くなりたいから、名前を呼んだり、その人たちの言葉を覚えたりする。

だから今回、そこが自分の中では結構引っかかった。

一人くらい、ホームステイ先の人たちともっと仲良くなりたいと思って、向こう側へ入っていく子がいるんじゃないかと、私はどこかで期待していたんだと思う。

思っていたよりも、自分は彼らに期待していた。

ここは今回、自分でも気づいたところだった。

そして最後に、ホームステイ先の人たちから「リスペクト」についての話が出た。

向こうとしては、いろいろ良くしたつもりだった。でも、それに対して十分に応えてもらえなかったように感じていた。

今回できた溝には、そういうところも関係していたのかな、と私は思っている。

ただ、彼らが具体的に何を見て「リスペクト」を感じなかったのか、そこはもう少し分けて考えたい。

今回面白かったのは、高校生たちを見ていたことで、逆に自分が普段どうやって人と関係をつくっているのかが見えてきたことだった。

私はこういう場に入っていくことが割と自然にできてしまうから、今まであまり考えてこなかった。

でも彼らを見ながら、

「あ、自分は名前を呼んでるな」

「現地の言葉を覚えようとしてるな」

「相手のことを知ろうとしてるな」

と、自分が無意識にやっていたことが見えてきた。

彼らを見て、自分がどうしているのかを考えることになった。

人とどう関係をつくっているのか。
何を大事にして人と関わっているのか。
知らない場所に入ったとき、自分はどう振る舞っているのか。

今まで無意識にやっていたことが、少し表に出てきて、言葉にできるようになってきた感じがする。

それは今回、結構面白かった。

一方で、引率する側としてどうしたらよかったのかは、まだ分からない。

もう少し私から伝えた方がよかったのかなとも思う。

現地の言葉を使ってみたら、と言った方がよかったのか。
名前を呼んでみたら、と言った方がよかったのか。
もっと手伝った方がいいよ、と言った方がよかったのか。

でも、全部こちらから誘導してしまうのも違う気がする。

人とどう関係をつくるかは、自分たちなりに考えていくことでもあると思う。

だから、自分で考えてほしいという気持ちもある。

ただ、ずっと見守っていればいいのかというと、それも難しい。

言うべきところは言わなきゃいけないと思う。

もちろん、その「言うべきこと」も私の価値観の中にあるものなんだけど、それでも、自分がこのフィールドワークで何を大事にしているのかくらいは、ちゃんと言葉にして伝えてもよかったのかなと思う。

私はこういうことを大事にしているよ、と。

その上で、じゃあ自分はどうするのかは、それぞれが考えればいい。

今回、高校生たちを見ながら、私は思っていた以上に自分自身のことを見ていたのかもしれない。

彼らがどうするのかを見ながら、自分だったらどうするのか、自分は普段どうしているのかを考えていた。

そして、自分が当たり前にやっていたことを、他の人もどこかでやるんじゃないかと期待していたことにも気づいた。

じゃあ、自分が自然にやっていることを、他の人にどう伝えるのか。

そもそも伝えるものなのか。
自分で気づいてもらうものなのか。
どこまで見守って、どこで言うのか。

その辺はまだよく分からない。

でも少なくとも、自分が人との関係の中で何を大事にしているのかは、今回かなり具体的に見えてきた。

高校生たちを通して、自分がどう人と関わっているのか、どう考えて生きているのか。

無意識にやっていたことが、少し表層化してきた。

今回のフィリピンでは、そういうことも起きていたんだと思う。